JRA競馬博物館特別展生誕130年記念~尾形藤吉『大尾形』の系譜vol.1

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偉人の足跡を記す

 2022年は日本で鉄道が開業した明治5(1872)年からちょうど150年。野球がアメリカから伝来したのも同じ年だという。それから20年後。江戸から明治へ、という激動の時代のうねりの真っただ中にあった明治25(1892)年に、日本競馬黎明期から戦後の発展期にかけての、日本の近代競馬史に大きな足跡を残し、現在も尚、影響を与え続けている人物が生を受けた。

 国営競馬以前の1908年から騎手、1911年からは調教師兼任でキャリアをスタート。中央競馬会設立以後は調教師として通算1670勝、クラシック競走26勝、重賞128勝(すべてJRA最多)。そして昭和7年に創設されたダービーは通算8勝……等々の大記録を打ち立てた尾形藤吉その人である。

 日本の競馬人は藤吉のことを、畏怖と尊敬を込めて〝大尾形〟と呼ぶ。

≪なぜいま〝尾形藤吉〟なのか≫

 生誕130年を記念して、JRA競馬博物館(東京競馬場)で尾形藤吉を扱った企画展が、
 〝尾形藤吉『大尾形の系譜』〟
 と銘打って、東京競馬場のJRA競馬博物館で開催(2022年10月8日~2023年2月19日)された。

 尾形藤吉を扱った文献は、その多くが藤吉自身が残した自伝的作品『競馬ひとすじ』と、競馬に深い造詣のあった詩人の井上康文が纏めた『尾形藤吉』を種本としている。中央競馬PRセンターが昭和56年に発行した『日本の騎手』では、作家の本田靖春が最晩年に近い藤吉のインタビューを交えた重厚なレポートを残しているが、その冒頭で本田も「尾形藤吉を語ろうとすれば、すでに言い尽くされていることを、やはり避けては通れない」と書いている。

 そうしたことを踏まえ、どうして明治、大正、昭和に生きた、もはや伝説……いや神話といっていい世界の人物、を扱う企画展が令和の時代に開催されるのか。この問いについて、紐解くキーワードをまず紹介しなくてはならない。
 それは単に〝生誕130年だから〟という理由だけではなかった。

 2020年6月13日、藤沢和雄元調教師が函館競馬第10レース駒ケ岳特別をシークレットアイズで制し、JRA通算1500勝を達成した。現役調教師では最多であり、通算勝利数で2位の国枝栄調教師が、910勝(当時)だったから、1500勝は断トツの数字といっていい(2022年引退時通算1570勝)。

 ところが、その数字が〝史上最多〟と報じられなかったことに若いファンは驚き、オールドファンは今更ながらトップに君臨する尾形藤吉の偉業の数々を思い出すことになった。伝来150年のベースボールに絡めるなら、ちょうどメジャーリーグでの大谷翔平の活躍を見て、ベーブ・ルースの偉大さを再確認した野球ファンが多かったように━━。

 ところで、その大谷とルースを対比させる時に、しばしば「時代が違う」ことが議論になる。尾形藤吉の残した成績を語る時も、似たような風潮があって、競技として成熟する前と進化した現在、といった構図で取り上げられる。
 しかし、「時代が違う」のは当たり前の話だろう。両者の間に100年近い年月の隔たりがあれば、野球にしろ競馬にしろ、取り巻く社会そのものにも大きな違いがあるのだから。だからこそ、余計に両者が残したそれぞれの数字を、〝表層的な部分のみ〟で単純に比較し、判断してしまうことは浅慮に過ぎる、と言わざるを得ない。
 何しろ「時代が違う」のだから。

いまだからこその〝大尾形〟

 企画展中、はじめに来場者の度肝を抜いたのが、館内2階の常設展スペースを使用して、壁一面に掲げられた〝系譜図〟だった。調教師と騎手に限った記載(現役・引退問わず)であるにもかかわらず、明治初期から令和にいたる膨大な数の人物名が紹介されている。
 藤吉本人と直接関わりのある人物、そうでない人物とが混在するし、厩舎に所属した期間も個人差があるため、実年齢と〝世代〟にズレが生じているケースもあったが、今回の企画展の目玉的な〝大作〟には違いなく、一見の価値大の展示といえる。

 そして競馬人を扱う企画展としては、異彩を放つ展示品として、昭和45(1970)年に公開された東映製作、配給作品の〝映画ポスター〟がある。タイトルは『日本ダービー 勝負』という。これが実に、尾形藤吉の半生を追ったセミ・ドキュメンタリータッチの作品なのだ。

(監督は佐藤純彌)

 現在ならコンプライアンス的にどうなのか、というシーンも少なくない作品だが、それこそ「時代が違う」として、この映画ポスターの展示は、いまなぜ〝尾形藤吉〟なのかを紐解く重要なヒントになる。

 想像してもらいたい。大手映画会社のオールスター作品であり、主人公は現役の競馬人。それを三橋達也が演じ、親友役が若山富三郎、一番弟子の騎手を高倉健、その妻が藤純子。騎手の後輩として登場する若手騎手を菅原文太が演じる。
 こうした〝競馬映画〟の製作が、どうして可能だったのか、を。
 単に映像を撮るだけなら、現在の方が簡単にできるかもしれない。問題になるのは、これだけの役者達を、実在の人物にどう当てて配役するのか、であろう。

 つまり、尾形藤吉を語る際に見落してはならないのは、調教師としての成績面は言うまでもないが、より重要な要素として、現在につながる人々とのつながり、すなわち〝人脈〟が外せないのだ。そして、それは必ずしも先述した〝系譜〟につながる厩舎関係者に限らない。

 次回以降、オーソドックスに系譜を辿るだけでなく、代表的な管理馬としてダービー馬8頭にスポットを当てつつ、それぞれの関係者との交遊をみていくことで、現在、そして将来の競馬につながるヒントを探していくこととする。

 「いまなぜ」ではなく、「いまだからこそ」の〝尾形藤吉〟なのである。

(本文中敬称略)

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