JRA競馬博物館特別展生誕130年記念~尾形藤吉『大尾形』の系譜vol.4

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開催に向けた故・伊藤正徳の執念

 現在(2022年10月8日~2023年2月19日)東京競馬場のJRA競馬博物館で開催中の〝尾形藤吉『大尾形』系譜〟展の発案者は故・伊藤正徳だった。企画展の案内に〝協力〟と記されている「尾形会」の代表を生前、彼が務めていた。

 伊藤は尾形藤吉厩舎に所属した騎手で、1977(昭和52)年のダービーをラッキールーラで制した。騎手引退後も調教師として活躍し、まさに直弟子といっていい人物だ。父・正四郎に続く父子二代でのダービージョッキーである。

 「レースが終わって握手をした手が珍しく汗ばんでいて、大尾形にしてダービーがいかに重いレースだったかを、初めて知った。と同時に、これはえらいことになった、弟子として恥ずかしいマネは絶対にできないぞ、って思った」と生前に語ってくれたが、真剣にそう思っていたようだ。これは夫人の「いつもピリピリした雰囲気があって、私どもにも隙を見せないような、近づき難く感じられるところがありました」という後年の記憶からも窺い知れる。

 その彼が騎手を引退して調教師となり、時を経た2002年。座談会を催した。進行役を平松さとしが務め、内容は『尾形会の歴史』と名付けられた冊子にまとめられた。参加者は存命中だった松山吉三郎、保田隆芳(ともにJRA顕彰者)、吉田晴雄(元尾形会代表)の錚々たるメンバーである。

 その中で尾形会について、「当初は弟子達が藤吉を囲んでの親睦会のようなものだった」と紹介されている。そして、藤吉が鬼籍に入ってからは、「弟子達が先生の功績を後世に語り継ごうという主旨を持つ会になった」とも。

 伊藤はその意志を終生持ち続けた。藤吉一門の〝系譜図〟の草案作りに注力し、藤吉の孫の充弘、松山吉三郎の二男である康久という、現在の尾形会の重鎮2人の協力を取り付けると、JRA他の関係各位に直談判。一昨年夏に志半ばで急逝するが、この度、〝特別展〟として日の目を見た。

大尾形の子孫として

 特別展が始まって約1カ月が過ぎた11月3日。秋の叙勲に藤吉の孫、尾形充弘が旭日双光章を受章することになった。

 尾形充弘は元調教師の盛次(故人)の長男。父同様に大学卒業後、一般の会社に職を得た後に調教師となった。通算800勝を挙げ、グラスワンダーでのGⅠ4勝ほか重賞23勝。調教師会の会長を2年務めた。

 「本当に身に余る光栄で、恐縮するばかりです。それも尾形藤吉生誕130年の年に、祖父と同じ叙勲を受けるなんて思いもよらないことでした。祖父の教えらしきことを言うとすれば、本当に〝馬ひとすじ〟。趣味は一切なく、その替わりに馬は何時間見ていても平気、という人でした」
 〝藤吉の遺志を継ぐ〟というのは、そういうことなのかもしれない。

藤吉の遺したもの

 藤吉の遺志を継ぐ、ということで現在につながる興味深いことは、藤吉の探究心からくる海外競馬への視野の向け方を弟子達の多くが受け継いでいる点だ。ハクチカラのアメリカ遠征に帯同した保田隆芳が、帰国後に〝モンキー乗り〟を広めたのは有名な逸話だし、野平祐二は日本人騎手として初めて凱旋門賞に挑戦した。
 調教師の一番弟子、松山吉三郎も1967(昭和42)年にハマテッソをブラジルに遠征させ、後に息子の康久をアメリカ、フランスに長期留学させている。
 藤吉自身も孫の充弘にイギリスで修行させた。
 伊藤正徳は管理馬ローエングリンでフランス遠征を決行し、ムーラン・ド・ロンシャン賞で2着している。

 松山康久は藤吉の功績について、次のように評している。

 「尾形藤吉先生は競馬に関するすべてのカテゴリーで、プロフェッショナルであったと言えるでしょう。遺してくださったものも数多いですが、ひとつは成績面の記録。次に人材育成。そして海外に向けて日本競馬の将来の指針を示したこと。何より大きいと私が思うのは、業界の社会的地位の向上に力を尽くされた、ということです。
 先生が先頭に立って人格者として振る舞い、その姿勢を貫かれたことで現在の競馬がある。これは決して言い過ぎではないと思っています。父は藤吉先生に心酔していて、そのあまりに死んだ年齢(89歳)まで同じだったか、と思ったほど。家族の情愛を超えた絆、のようなものを感じたものです」

競馬と〝尾形会〟の将来

 現在の「尾形会」の会長で、特別展の開催に全面協力した充弘。博物館に足を運ぶ多くのファンを見つめながら思う。

 「たくさんの方が来館してくださってるようで、とても嬉しく、心から感謝しています。今回は〝系譜〟を軸に尾形藤吉の足跡を紹介していただきましたが、藤吉の名がどのように記憶されるのか、或いは忘れ去られるのかはわかりません。時代の流れで、「尾形会」だって自然消滅するかもしれません。
 それも仕方のないことだとは思います。ただ、これからも競馬は長く続いてほしいですし、その中で歴史を振り返った時、かつて尾形藤吉という人物がいて、その一門のホースマン達がいた、ということが語り継がれていればいいですよね。この企画展がそうしたことにつながってくれるのなら、こんなに喜ばしいことはないと思っています」

(了)
(文中敬称略)

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